六歌仙とは?時代を彩る個性豊かな6人の歌人を紹介

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六歌仙とは?時代を彩る個性豊かな6人の歌人を紹介

六歌仙とは

平安時代に活躍した多くの歌人たちの中で、9世紀後半に特に活躍したとされる在原業平、小野小町、僧正遍昭、文屋康秀、大友黒主、喜撰法師の6人の歌人を六歌仙と言います。彼らの歌は延喜5年(905年)に編集された古今和歌集に多数の歌を収集されており、古今和歌集冒頭の「仮名序」において、撰者の1人・紀貫之より「近き世にその名聞こえたる人」と紹介されています。

六歌仙活躍期の時代背景

平安初期、桓武天皇が794年に平安遷都してから約50年ほどは都を繁栄させるために中国からさまざまな芸術や学問を取り入れていた時代でした。この時代に漢詩が流行し、文芸品としての和歌が衰退をしていったと言われています。

しかし850年に即位した文徳天皇の時代から、古今和歌集の勅命がなされる約60年の間に万葉集時代以降衰退していた和歌が宮廷文学として復興をとげていくことになります。

まさにこの復興期に活躍していたのが六歌仙で、紀貫之ら古今和歌集撰者たちが活躍した時代より少し前の時期に名を馳せていた歌人たちです。

六歌仙の和歌の特徴

1. 在原業平

平城天皇家の血筋を引いた高貴な官人であり、六歌仙の中で古今和歌集に最も多くの歌を収められている歌人です。

紀貫之によると、以下のように評されています。

在原業平は、そのこころ余りて、ことば足らず。しぼめる花の色なくて匂い残れるがごとし

(在原業平は、歌に詠もうとする「こころ」があり余っていて、それを表現する「ことば」が不十分である。しぼんだ花の色が褪せて、香りだけが残っているかのようである。)

古今和歌集 仮名序より

在原業平の歌は、「擬人法」「見立て」、倒置法、同語反復など、様々な言葉の技法で彩られている特徴を持ち、当時の和歌において重要視されていた”余剰”を含む表現力に優れていたとされています。

在原業平の代表的な和歌

対にいきて、月のかたぶくまで、あばらなる板敷にふせりてよめる

月やあらぬ春や昔の春ならぬわが身ひとつはもとの身にして

古今和歌集 恋歌五より

訳:月は昔の月ではないのかなァ。花は昔の花ではないのかなァ。わが身だけは、以前どおりの身であって。

題しらず

おほ方は月をもめでじこれぞこの積れば人の老となるもの

古今和歌集 雑上より

訳:大概は、愛ずべき月をも愛でまい、この月こそは、積みかさなると、かの人間の老と変わるものであるよ。

人に逢ひて朝によみて遣しける

寝ぬる夜の夢をはかなみまどろめばいやはかなにもなりまさるかな

古今和歌集 恋三より

訳:共寝をした夜の、たよりなく飽き足りない心の、夢とも思われるので、家に帰って、とろとろとうたた寝をすると、いよいよはかないものになって来ることであるよ。

2. 小野小町

六歌仙の中で唯一の女性で、古今和歌集において恋歌が多く採られている歌人です。彼女について古今和歌集を遡る資料がほとんど存在せず、古今和歌集内でも「題しらず」である場合が大半のため彼女の伝記には不明な点が多いのですが、概ね仁明朝から文徳朝にかけて(833年〜858年頃)活躍した人であったと言われています。

紀貫之によると、以下のように評されています。

小野小町は、いにしへの衣通姫の流なり。あわれなるやうにして、強からず。いはば、よき女のなやめる所あるに似たり。強からぬは、女の歌なればなるべし。

小野小町は、古代の衣通姫の系譜につながる歌人である。その歌は、しみじみと身にしみるようであるが、強くはない。いわば、美しい女が病気に悩んでいるところがあるのに似ている。強くないのは、女の歌だからであろう。

古今和歌集 仮名序より

日本書紀によると、仮名序の説明にある「衣通姫」は允恭天皇の妹にあたる人で、その美しさが衣を通して照り輝くようであったためにこの名前が付けられているとされています。

小野小町の代表的な和歌

題しらず

思ひつつ寝ればや人の見えつらむ夢と知りせば覚めざらましを

古今和歌集 恋歌二より

訳:思い思いしながら寝たので、その人が見えたのであろうか。もし夢だと知ったなら目覚めずにいたろうものをなァ。

題しらず

色見えでうつろふものは世の中の人の心の花にぞありける

古今和歌集 恋歌五より

訳:花は、その色が見えて移ろって行くが、その様子が見えずに変って行くものは、男女関係での人の心の花の、あだあだしさであることよ。

文屋の康秀が、三河のぞうになりて、あがた見にはえ出で立たじやといひやれりけるかへりごとによめる

侘びぬれば身をうき草の根を絶えて誘ふ水あらばいなむとぞ思ふ

古今和歌集 雑下より

訳:世にありわびてしまっているので、わが身を憂く、浮草の根が切れたさまなので、誘う水があれば、ひたすらにそちらへ行こうと思ってることであるよ。

3. 僧正遍昭

元々は仁明天皇に使えた有能な官人であり、蔵人頭(令外官の一つで、天皇に近侍して機密文書の取り扱いから身辺の諸雑事までを取り仕切る役職のトップ)を務めていました。嘉祥三年(850)に天皇が崩御したことを契機に出家して比叡山に入り、最終的に僧侶の最高位である僧正の位にまで昇り詰めた経歴をもつ歌人です。

俗名は良岑宗貞といい、桓武天皇の皇孫で在原業平とは従兄弟の関係にあります。古今和歌集には良岑宗貞の名義と僧正遍昭の名義両方の和歌が収められています。

紀貫之によると、以下のように評されています。

僧正遍昭は、歌のさまは得たれども、まことすくなし。たとへば、絵にかける女を見て、いたづらに心を動かすがごとし。

僧正遍昭は、歌の風体は得ているが、全心的の緊張が足りない。たとえば絵に描いた美しい女に対して心を動かすがようである。

古今和歌集 仮名序より

宗教の視点、俗界の視点両方を持ち合わせて歌を読む僧正遍昭は、他にはない視点から発想を展開する個性ある歌人であると言えます。

僧正遍昭の代表的な和歌

西大寺のほとりの柳をよめる

浅みどり糸よりかけて白露を玉にもぬける春の柳か

古今和歌集 春上より

訳:薄緑の糸を縒って、白露を玉として貫いた春の柳であるよ。

はちすの露を見てよめる

はちす葉の濁りにしまぬ心もて何かは露を玉とあざむく

古今和歌集 より

訳:蓮葉の、泥水に生えて、その濁りに感染しない清い心を持っていて、何故に、その上に置く露を玉として人を欺くのか。

題しらず

名にめでてをれるばかりぞ女郎花われおちにきと人に語るな

古今和歌集 秋上より

訳:女郎花という、その名によって愛でて、折り取ったばかりであるぞ。女郎花よ、僧である自分が堕落したと、世間の人に話すなよ。

4. 文屋康秀

在原業平と同じく官人であり、歌人としても活躍をしました。(官人の中でも位は低かったと言われています。)別称は文琳といい、言葉の一節に面白さを持ち合わせているのが特徴です。

紀貫之によると、以下のように評されています。

ふんやの康秀は、詞は巧にて、そのさま身におはず。いはばあき人のよき衣著たらむが如し。

文屋康秀は詞は巧みであるが、風体としては、巧みさだけが際立っていて、それに調和しない。いわば商人が良い衣を着たがようである。

古今和歌集 仮名序より

文屋康秀の代表的な和歌

是貞のみこの家の歌合の歌

ふくからに秋の草木のしをるればむべ山風をあらしといふらむ

古今和歌集 秋上より

訳:吹くやいなや、それにしたがって、秋の草も木もたわみ傷つくので、なるほど、山から吹く風を嵐というのであろう。

深草のみかどの御国忌の日よめる

草深き霞の谷に影かくし照る日のくれし今日にやはあらぬ

古今和歌集 哀傷より

訳:草の深い霞の谷に光を隠して、照る日のにわかに暗くなったその今日ではないか、今日であったことよ。

5. 大友黒主

六歌仙の中で唯一、都の貴族でなく近江国(滋賀県)在住の豪族であった歌人です。奈良時代後期、または平安時代初期に活躍した猿丸大夫という歌人の系統と言われています。

紀貫之によると、以下のように評されています。

大友のくろぬしは、そのさまいやし。いはば薪負へる山人の花の蔭にやすめるが如し。

大友黒主は、その風体がいやしい。いわば、薪を背負っている山人が、花のかげに休んでいるようで、場所の面白さに圧しられている。

古今和歌集 仮名序より

大友黒主の代表的な和歌

人を忍びにあひ知りて、あひ難くありければ、その家のあたりをまかりありきける折に、雁のなくをききて、よみてつかはしける

思ひ出でて恋しき時は初雁のなきて渡ると人は知らずや

古今和歌集 恋歌四より

訳:あなたを思い出して恋しい時には、初雁のように、泣いてあなたの家のあたりを歩きまわっていると、あなたは知ろうか、知りはすまい。

題しらず

鏡山いざ立ちよりて見て行かむ年経ぬる身は老いやしぬると

古今和歌集 雑上より

訳:鏡という名を持った鏡山を鏡として、さあ、近寄って、それに写るわが顔を見て先へ行こう。世に久しく在るわが身は、顔が老いたかも知れぬと思うので。

6. 喜撰法師

喜撰法師は宇治山の僧侶であったということ以外わかっておらず、その素性に関する詳しいことは不明です。古今和歌集にも1首しか収められていません。しかしながら六歌仙として仮名序に記されていることから名の知れた歌人であったことが伺え、作り出す和歌の幽玄さが評価されていたようです。

紀貫之によると、以下のように評されています。

宇治山の僧喜撰は、詞かすかにして、始終たしかならず。いはば秋の月を見るに、暁の雲に逢へるが如し。

宇治山の僧喜撰は、詞がかすかで、一首がはっきりとしていない。いわば、清らかな秋の月を見ているに、その月が暁の雲に蔽われたがようである。

古今和歌集 仮名序より

喜撰法師の代表的な和歌

題しらず

わが庵は都のたつみしかぞ住む世をうぢ山と人はいふなり

古今和歌集 雑下より

訳:我が庵は、都の東南で、このように住んでいることよ。それを、世は憂いにゆかりある宇治山だと、世間の人はいっていることであるよ。

まとめ

六歌仙の活躍した時代の背景、それぞれの歌人の特徴などを紹介してきましたが、六歌仙の歌人達は和歌特有の共通の型を共有しつつも個性あふれる和歌を残していることが分かります。

この六人の作り出した素晴らしい和歌の数々は、その後の時代で活躍したたくさんの歌人達にも影響を与えています。

六歌仙について気になった方は、彼らの和歌作品が多数収められている古今和歌集をぜひ読んでみてください。

このような時代背景や歌人の人となりを知った上で読むことでよりいっそう和歌を楽しむことができるでしょう。

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